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Reiko News



 ■ママのひとりごと 2007年4月21日号


母の手紙

 4月21日(土曜日)東京ミッドタウンと国立新美術館の見学のおり、千葉のいとこの家に泊まった。
いとこが、昨年亡くなった伯母(母の妹)の遺品を持ってきた。
大切にしていたであろうアルバムと、私の両親が伯母に宛てた手紙が数通。
若くして亡くなった我が姉の成人式の写真・・・欲しいものがあれば持って行っていいよと言う。

 父は筆まめなほうだったから手紙があるのはわかる。
しかし母は健康保険も無い時代に、寝たきりの母親をかかえた東北の農家の長女であった。
学校も出してもらえず父親と医療費に苦しみ、借米と借金にまわる日々だったそうで、字が苦手だった。 
それでも、時々は書いていたのだ!
封筒から取り出して、たどたどしい字を読むと13年前に亡くなった母の姿がまざまざと浮かび上がる。
学はなくとも、とても上品な人だったが、驚いたのはその美しい文章だった。

 遠い昔、私は婚約者を突然の病気で失った。
ショックで家を離れどう生きたらよいのか分からなくなって、ひとりあちこち彷徨った。
当時伯母は鎌倉に住んでおり、鎌倉は婚約者の郷でもあった。
今は覚えていないけれど、そんなせいで伯母のところで暫くやっかいになったようだ。
その時母は妹に手紙を書いたらしい。
その手紙を読んで母の心を知り、その手紙の美しさに滂沱の涙を流した。

『 このたびは娘がお世話になっているといふこと、まことに申し訳なく思ひます。 
とても良い御方で私も満治(父の名)も喜んでおりましたのに、突然このようなことになって貴女にお世話
をかけることになってしまいました。あれも(私のこと)たった一人の姉をなくし、今またこのような不幸にみまはれほんたうに可哀相な娘です。かかった費用はあとでお支はらいするとして、どうかどうかよろしくお願ひいたします。 』

 その時、私と言えばひたすら自分の思いにのみ囚われ、家族のことも親族のことも二の次だった。
そうやって人はいろんな人の愛情に支えられて、生き延びてきたのだ。
親の心子知らずとは言うけれど、まさにこうして触れることがなければ、わからなかっただろう。
すべて自分ひとりで乗り越えて来たように思っていたけれど、親がこれほど心配してくれていたとは・・・
法事も親戚付き合いも大切だなと改めて思った。 良い親族を持って幸せだと思う。
 
そして、親はただひたすらに有難いものだといまさらに思う。

麗子


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